分別

原発に関して3つ程エントリをしましたが、こういう情報を書くと「不安を煽るな」「仕方ないだろ」という意見を言われます。
また、我々についてのリスクを書くと、「現場が頑張ってるんだから応援するしか無いだろ」
また、反原発系のサイトを引用したり、素朴に原発の危険性について発言すると、「それは活動家の言っている事だから当てにならない」
という「反発」を目にします。
また、政府が大丈夫だと言っているから大丈夫に決まっている、ということを言う人が居ます。

私はツイッター

現場を見守る事と、リスクを見る事は全然別だし、またその原因を追及して批判するのも別の問題。どうもこれを混同している人が多いようだ。


と書きましたが、物事を分けて考えないと、混乱するどころか、害を及ぼします。
危険だ、と言う情報は本来有益なもののはずです。また、危機的な状況にあるのであれば、リスクを重視するのはごく当たり前のことです。
こういうのは私が医療現場で働いていた事があるからなのですが、もし医療現場のような非常事態を扱う場所で「普通」のロジックを働かせていると職務が遂行出来ません。
人命に繋がる事故になります。だから、皆ぴりぴりしている。というか、しなければならない。
貴方がもし、患者で、けがや病気をしていて、危機意識の甘いスタッフに囲まれたらどうでしょうか?
良い気はしないですよね。そういう経験無いですか?
無論、緊張を解きほぐすと言う意味でリラックスさせる事は重要です。
が、それは意識して為される事です。感情をコントロールした上で、患者の為を思って為される事です。
ただ何も気にしていないわけではない。
悪い方に悪い方に転んでいる状況を見て、ああこれはもっと悪くなるかもしれないと思うのが妥当でしょう。


政府の公式見解では、「可能性が高い」「確率が低い」こういう言葉をしっかり使っています。
たとえば「直ちに健康に害を及ぼす可能性は低い」。
本当は、「直ちに」が重要なのですが、「低い」と言う言葉を捉えてしまいがち。それは、私たちの不安心理の裏返しです。
これ聴いている人間は、枝野さんの演説を聞いて「ああ、なんとなく大丈夫なのかな」という印象を抱く傾向にあります。
これは流石だなあ、と思いますが、だからこそ危険だな、と思いました。
弁護士の資格を持っているので、言葉巧みなのは当然と言うか、お手の物。
別に嘘をついているわけではないんです。ただ、言い方が本当に上手い。
沈着冷静でと分かりやすい印象を与えている(実際そう)。
しかもどちら共に取れるような言い方をして、あとで責任も追求出来ないような文章になってる。その上国民の感情をコントロールしている。
多くの人が惚れるのもうなずけます。次期総理かも。


しかし繰り返しますが、「想定外」の事態が起きています。だから、どう転ぶかは分かりません。
「安全である可能性が高い」という言い方をするのは、どうなるかわからないけどたぶん...と言う事でしかありません。
全然安心なんて出来ないのです。
「直ちに」害は及ばなくても、徐々に来る可能性がある。
また、直接の人的被害は無くても、生態系は確実にイカレますから、食物連鎖で間接的被害を受ける事は確実に想定されます。
そういうことを全然言わない。


ところで、私はここで政府批判を繰り広げようとするのではありません。
政府が安心させようとするのは、混乱を引き起こさないようにする為ですが、これは極めて当然の事です。
もし「危険だ」と言えば、マスコミが拡張して伝え、それを知った人々は慌てますよね。
実際慌てている人が出ています。買い占めとか帰省ラッシュ(仮)とか。

こうなると通常の経済システムや民間の物流が機能麻痺してしまう。
すると復興支援も行えなくなってしまう。助けられた筈の人が助けられなくなってしまう。
そう言う意味で、関係者は窮地に立たされているし、こうせざるを得ないだろうなと思います。


だから、GAMANしろ、ではなく、私たちは私たちの判断で、出来る行動をしなくてはなりません。
避難したければ避難していいし、誰もそれを咎める事なんて出来ない筈だ。
他人の行動を責めるのも間違ってる。


また、原発の恐ろしさをここで知った人は多い筈です。
こういう事故は未然に防げたのではないでしょうか。
原発のリスクは解決されないまま原子炉の建築は進められていたのですが、このような事態になる事は反原発サイドからずっと前から言われていた事でした。
私たちは何かに反対する人を煙たがる傾向を持っています。
また、そういう活動家達に変なのが多いのも事実です。
が、全く理由が無いからこのような反対をするのではありませんし、全くでたらめに反対をしているのでもないのでしょう。
だから、臭いものにはふたをせずに、ちゃんと見極める判断力を私たちが身につけなければなりません。
なんだかしょうもない当たり前の事のように聞こえますが、私たちは出来ていなかった、ということですね。
こうなった原因や打開策を考える事は、全く不毛ではありませんし、有益な筈です。
それを感情論で否定するのは、賢いとは言えない。


物事は分けて考えるべきです。切り離すのではなく、区別して考える。
だれも感情を殺せなんて言ってない。
感情をうまく活かして、これからに使おうと言うのです。
この二つは全然違うものです。スピノザのエチカばりに怒るつもりは無いですが...



ところで、ツイッターでもちらっと書きましたが、今後は復興支援ネタについても書いてと思います。

たとえば...復興支援は公的機関では限界がある。
だから、そろそろ民間の出番ではないのかな、とも思います。
実のところ私はそういう行動に関しては否定的なのですが、検討してみる価値はあるかもしれません。たとえば以下のようなレポートを見ると。
http://blog.livedoor.jp/koki_uchiyama/archives/1281312.html

TLでも義理人情に燃えている人は沢山居ます。
だから志願者を募れば、きっとこれもあっという間に集まるでしょう。
原発のような専門知識や軍レベルの組織、技術がが無いと困るような現場は別として、避難所まで車で日帰り支援とか、そういうのなら出来るんじゃないか。
なんてことを考えています。



被災地の方の安全と、無くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。