simone weilおぼえがき1


 インテリって凄いんだなあ、とつくづく思う。自分のやってる勉強って、一体なんなのだろうと途方に暮れたくなる。そこは凡人である事を素直に認め、天才ってスゲー、と感嘆するだけにしておいた方が良いのだろう。劣等感を感じるには遠すぎる。
 9歳で数学の難問を解き、12歳でギリシアサンスクリット語を独習。将来ノーベル賞を受賞する20世紀3本の指に入る数学者アンドレ・ヴェイユ。その妹は、10代前半で古代ギリシア語と複数の外国語を駆使し、古代エジプト語やバビロニアのくさび文字を「可笑しいほど簡単な言語です」とか、そんな風に言える人だった。後に左翼の闘士として鳴らすことになる彼女は、10歳の時既に労働者のデモに加わっていた。(ちなみに彼女は組織と言うものに対して生涯一貫して懐疑的、批判的であった。それが政治であろうと、宗教であろうと、一定の距離を置いていた。)


兄と妹の会話には文学作品や哲学書へのそれとない言及がちりばめられていたので、人を排除するつもりはなくても、二人の会話は二人以外には殆ど理解出来なかった。

どんな事が繰り広げられていたのだろう。


たとえば、シモーヌラシーヌの『フェードル』からのイッポリットの嘆きを引用すると、それは、自分はラテン語の作文が終わったので、兄の微分計算が済んだら一緒にアイスキュロスを読もうと言う意味なのだが、一体誰にそんなことがわかるだろうか。


 わかるわけない。

 幼い頃に、自分たちにしか分からない隠語や暗号を使って楽しむのはよくあることだ。この兄妹にとってはこれがそれ。そしてテレビやゲームについて話をするがごとく、高度に知的な会話を日常的に行う。 
 いつものごとくバスの座席で知的な会話を楽しんでいると、前に座っていたおばさんが「誰が学者のモノマネを仕込んだんだ!」と不快感をあらわにし、下車したというエピソードがある。確かに、かわいらしい子供像とはかけ離れている。無理も無いと言えばそうか。生意気な子供は好きではないが、ここまでぶっ飛んでいるなら是非見てみたい。

 言うまでもないかもしれないが、ヴェイユは当時アンリ4世校で哲学教授をしていたアランの弟子でる。ヴェイユの思想は相当にアランの影響を受けている。互いに尊敬し合っていた師弟だったが、当初はそのアランをして「火星人」と言わしめた程の変わり者だった(もちろん、彼女を知るにつれ、次第に火星人ではなくなっていくのだが)。

 この人の思索は複雑多岐かつ関心が広範囲な領域に渡っているため、その研究は困難を極める。体系的な思想を残した理論屋ではない。生前は論文をこそ発表したものの、纏まった本は出していない。殆どは死後彼女の手記を編集して出されたものである。全集は邦訳でも存在する。
 

 そんな事情もあるけれど、その思想自体もかなりユニーク。決して丸い思想ではなく、一種の刺々しさを持つ。あるところはものすごく鋭利であり、ハッとさせられたり、あるところは理解不能だったり、とても奇異な感じを受けたりする。異端と言えば、異端かもしれない。正統が何なのか良く分からない僕が言っていいか分からないけど。
 関心の領域も広い上に、テクストによって全然カラーが異なったりする。後述する「重力と恩寵」のような神秘思想(?)に触れた後、鋭いマルクス主義批判、スターリニズム批判で知られる「自由社会と抑圧」、ハンナアレントが絶賛した「労働と人生についての省察(原題は労働者の条件)」などと読み比べると、違いに驚かされる。

 また、彼女は行動した人だった。活動家だった。彼女の行動は、彼女の意志のあらわれであるが、その意志と行動は殆ど不可分と言っていい程である。だから、彼女の書いたものだけではなく、彼女が何をしたかも見なくてはならない。また、その行動を知る事で、彼女のテクストがよりいっそうリアリティを持って語りかけてくる。彼女のテクストが持つ迫真性は、他ならぬ彼女の触れたリアリティに基づいている。

<重量と恩寵>
ヴェイユを有名にしたのはこの本である。
私が最初に読んだのもこの本だった。


 私も昔工場で働いた事がある。そこでの体験はあまり良いものではなかった。
 そのとき工場労働をしていた哲学者の存在をどこかで知っていた私は、たまたま書店に置いてあった彼女の訳書を買って読んだ。詩的で神秘的な文体。とても優しく高潔であった。汚れた魂があったとすれば、それは一瞬清められた。そのような感覚を味わった。

 それから5年経つ。5年経てば、また異なった印象を受ける。
 
 自分の心境の変化によるところが大きい。割と不満の無い生活を送っている。以前は中2病的な悩みに煩わされる事が多かった。
 そして休学や就活を伴って、哲学から、人文学から離れていた。1年程離れ居てると、何か不健全なものに思われてくるのだ。実務に追われていると、尚更そう。こんなことが何になる、という風に考えるようになる。「自己無化」の思想などは、常識的とは思えないし、狂的、病的と感じられた。
 
 もう一つは、テクストから拒まれていると感じた事。私たちは書物を読む。私たちが書物に向かうと言う点で、能動的(active)である。また、言葉を受け入れる。と言う事は、受動的(passive)である。思想を読むとは、交わること(communication)である。死者はテクストの中に生きている(もちろんこれは比喩)。
 これは不思議だ。死後もなお、その徹底した意志で貫かれた思想によって、私はなんだか道徳的に非難されているかのような気分になってしまうのだ。
 彼女のバイオグラフィを追うとより一層そんな感覚に陥る。自分の今の生活が、欺瞞に満ちていて、虐げられた弱者の上に成り立っているような気がしてくる。学問に対する態度だとか、人生に対する態度だとか、諸々の曖昧なことに対して、刺すような眼で見られるような。妥協する、と言う事を許してくれない。
 
 生前の彼女は妥協しない人だった。労働運動に女性の身で参加していたり、教師になって(向こうの「教師」って日本とはレベルが違います)給料のほとんどを寄付に回していたり、弱者への思いから床で寝たり暖房付けなかったり、ハンストと言っていいくらい全然食事しなかったり、内戦が起きたらすわ一大事と前線に参加したり...枚挙にいとまが無い。変人だけれど、聖人のような生活と高潔で一貫した意志は、人を引きつける魅力があったという。
 そんな真面目で一途な彼女、若い頃はかなり悪戯好きのやんちゃっ子だったり。本当、興味の尽きない人。
 もっと書きたいけど、また今度ということで。
 最後に彼女の一言を添えて今回は終わりに致します。
 

現代文明の総決算をする、またはその批判をすると言うことは、いったい何をすることを意味するのか。人間を自分の手で作り出したものの奴隷とするに至った罠を、確実な仕方で明るみに引き出そうと努力する事。方法的な思考や行動の中に、いったいどこから無自覚的なものが忍び込んできたのだろうか。原始生活への逃避は、怠惰な解決法である。わたしたちが現に生きているこの文明のただ中で、精神と世界との原初的なつながりを再び発見しなければならない。
しかしながら、人生は短く、人々の協力を得る事も、継承者を見つける事も難しく、これは実現不可能な仕事である。といって、この仕事に手を付けないでよい理由にはならない。私たちは皆、獄中で殺されるのを待ちながら、竪琴を弾く練習をしていたソクラテスとよく似た境遇に置かれている。ともかくも、よく生きたと言えるように...